そぞろ歩き・長津田から瀬谷へ |
JR横浜線の駅は、東神奈川駅から長津田駅まで同じような雰囲気を持っています。単線だったころの石造りのホームが波打ちながら伸びているせいかもしれません。それにいずれも古い面影を残す商店街が南側に隣接していることも特徴的といえるでしょう。どの駅も駅前再開発が進展しないおかげで、実に田舎臭い雰囲気を漂わせています。この際、今風に小綺麗にしないで、かえって昭和30・40年代風の駅舎やホームに改良し、商店街をマンガ「夕陽ヶ丘」風にすれば、きっとドル箱路線になるし、その雰囲気の好きな人が集まるだけに、まとまったコミニティのある町が形成されると思います。 |
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(このソフト結構優れものです!)
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(44)長津田駅も南側に開けた。火の見櫓の下には「無事カエル」が跳ねている。少し行くと、旧宿場町。江戸期に約50軒程度の家が建ち並んでいた。往時を偲ばせる常夜燈が大石神社にある。大石だけに御神体は「石」。長津田小の裏手、金刀比羅・八坂神社の境内にいろいろな石碑がある。「皇太子殿下野立」の碑と乃木「希典書」の刻字がすごい。大正11年、野外演習が行なわれ、皇太子(昭和天皇)の観覧場所がこの丘だった。 |
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(45)恩田川に出て、町田市下水処理場から、なずな原公園を登る。なずな長者伝説を標した場所だが、土手からの電車車庫の眺めの方が子供たちには印象的。横浜線のガードをこぐリ、左が「殿山わき水坂」、登りきると「つくし野殿山市民の森」。今度は東急田園都市線に並行して進む。いわゆるマロニエ(栃の木)通り。高級住宅地を過ぎるとやがて「セントラルパーク」という名前負けの公園。 |
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(46)そこをクランクして尾根沿いに進むと急に右手の視界が開ける。眼下には東急線、その先にすずかけ台の駅舎、一帯は住宅がひしめき、背後に丹沢山系と富士がある。国道246号を進み、のうま公園を過ぎて、標高と距離のプレートのある歩道橋を渡る。夕暮れの、歩道橋の下を流れる車の光跡と夕陽に黒い陰を浮き立たせる丹沢がいい。そこから、一面の畑を抜けて高尾山・飯綱神社に着く。 |
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(47)飯綱神社のベンチからの眺めは、さっきのすずかけ台の眺めとは少し違う風情がある。富士山もやっと、恥ずかしげに顔を見せるようになった。眼下に広がるのは「鶴間」。ひとことに「鶴間」といっても、町田市、相模原市、大和市にひろがるほどに広い。ある意味では、どこがどこの鶴間なのだか判らなくなってしまう。 |
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(48)この辺りからは、町田の鶴間公園からでも、大和・下鶴間の深見歴史の森からでも、境川沿いの散策を始めるといい。きれいに整備されたサイクリングロードが川の右や左に続いている。今でこそ境川が護岸されて、あまりに無機質的なラインを見せているものの、地図を見て、実際に歩いてみると、両サイドに尾根道と川幅を示すかのような旧道がうねうねと走っている。 |
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(49)相模川と同様、境川は昔の人々にとって文化や生活圏をハッキリと東西に分かつ川だったに違いない。当時はよく氾濫する暴れ川だったため、道は丘の稜線を走っている。少し遠回りすると、米軍上瀬谷通信所の海軍道路に至る。約3kmに及ぶ直線道路と桜並木が圧巻だ。 |
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(50)再度、境川に戻る。鎌倉上の道といわれる瀬谷区中屋敷・本郷を進むと、明治の製糸業で財をなし、今にも残る威風を凝らした家並みを見ることができる。見上げるほどのケヤキの巨木が立つ日枝神社から対岸に渡って深見神社に向う。深見神社をはじめ、大和側には古代からの遺物が点在していて興味をそそる。 |
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(51)「相模国十三座之内深見神社」という石標の立つ深見神社は、延喜式神名帳に名を連ねるほどの古い神社。隣の仏導寺を含めて、かなりの所領を有していたに違いない。明治9(1876)年に仏導寺の火事の際に類焼して焼け落ちたという。樹高30mのハルニレは、推定樹齢400年で神奈川名木100選のひとつ。航空関係者の崇敬が篤い航空神社は、戦時中、厚木基地内に祀られていたもの。 |
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