資 料 写 真
ソ連の脅威、中国共産党の抵抗は、
日本の支配層にとって
看過できない問題だった。
赤色革命を標榜し、
戦争反対、即時撤兵を掲げ、
大衆を扇動する共産党を
まず標的にした。
労働運動も停滞し、
哲学も思想も持たない国民。
それが国家の理想?
一方、プロパガンダの重要性と
皇国公民教育こそが
現体制を存続する道とされ、
さまざまな対策が打ち出された。
国旗掲揚、国歌斉唱について
義務づけないと歌えない。
そんな国と教育って正常なのか。
「勝って兜の緒を締めよ」
遊びにも軍国主義に基づく
思想教育がなされた。
「大東亜共栄圏」「八紘一宇」
アジアの盟主・日本の国策は、
他のアジア諸国の思いとは
似て否なるものだった。
コンピューターゲームや
BB弾の戦争ごっこが、
野放しなのと同じだ。
戦線拡大と共に徴兵は必須。
戸籍での把握が困難となると、
寄留法により人の動きを掌握した。
今でいう住民基本台帳のこと。
届け出ないと拘禁された。
今は届け出なくても罰則はないが、
その分ネットワークで補うはず。
「鬼畜米英」をスローガンに
戦ってはみたものの、
ミッドウェーから負けばかり。
アンテナと計算機の発達が、
旧式の暗号を使う日本の
作戦を丸裸にした。
そのことが、
夫婦でも秘密を漏らせば
妻=スパイというチラシになった。
ちなみにスパイは死刑だ。
日本が世界で初めて
都市空襲を行った。
軍需施設ではなく、
非戦闘要員の住宅に対して
焼夷弾を落とした。
その経験をもとに
落とされた焼夷弾を
火ハタキとバケツリレーで
消そうと防空訓練を重ねた。
結局それが避難を遅らせ、
被害を拡大させる原因となった。
横浜の空襲を知らせる新聞記事。
旧市街の大部分を失ったのに、
一部に空爆を受けたと報道している。
飛来した航空機は、
東京大空襲の低高度での
損害を教訓として
高々度からの作戦を採用した。
高射砲も届かない高さだから、
70機撃墜という情報は
いわゆる「大本営発表」そのもの。
爆弾を落とすB29爆撃機。
見える爆弾一つ一つは親弾。
途中で分解して、
48本の焼夷弾が降り注ぐ。
ちなみに、日本を爆撃する際、
必ず富士山を目印に飛来した。
なぜなら
「頭を雲の上に出し」ているので
悪天候でも富士山からの
角度と航続距離で
目標をとらえることができた。
煙の合間に見えるのは
西区平沼町あたり。
とすれば、
すでに天王町は火の海。
爆撃は周到に計算された。
天候と風向きを予想し、
西南の風上から侵入した。
5箇所の爆撃ポイントを定め、
先頭の爆撃機が
大型の焼夷弾をポイントに落とした。
その発煙場所を目印に
グループ分けされた編隊ごとに
集束焼夷弾を集中的に落とした。
それも煙で目標が覆われないよう
発煙箇所の近くの風上の場所へ
次々に爆撃目標を変えたという。
結果、捕虜収容所や外国人居住地
戦後使用する予定の施設などには
被害は及んでいない。
地上を逃げまどう人びとは、
爆撃機に笑いを浮かべる米兵の
姿が見えたというが、
この高度で爆弾を落としていたら
顔などが見えようはずもない。
きっと心の中で思っていたことが
脳裏に焼き付いたんだろう。
黄金町の駅では電車が緊急停車。
避難しようにも火に囲まれ、
ついには駅舎内で
幾重にも折り重なって亡くなった。
逃げた人びとも燃えさかる
紅蓮の炎にあおられ、
三春町や久保山の坂には
立ったまま焼け死んだ姿も
見られたという。
フェリス女学院あたりから
伊勢佐木町方面を見た風景。
一面の焼け野原。
上空から桜木町駅や
伊勢佐木町方面を見た風景。
焼け残った建物は、
米軍が進駐すると
そのまま接収された。
原爆。
何もコメントはしない。
合掌。
米戦艦ミズーリ号上での
降伏文書調印式。
このとき、マッカーサーは、
ペリーが日本に来航してきたときに
掲げたという星条旗を
調印場所の横の壁に掲げさせた。
伊勢佐木町通りから
吉田橋を渡りパレードする米軍。
伊勢佐木町が一般大衆にとって
重要な場所だということを
十分認識していたとしか思えない。
出典:写真で見る横浜大空襲 〜横浜市史編集室刊〜
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