中  区
●墓地に咲く愛の花
 明治のはじめ、横浜には多くの外国人が、新しい技術を伝えにやってきました。鉄道技師のイギリス人、エドモンド・モレルもその一人でした。明治5(1872)年、横浜と新橋の間に日本で最初の鉄道が走ったのも、このモレルの功績です。しかし、モレルは、慣れない日本の生活で病気になり、鉄道の完成を見ずに、二十九歳の若さで亡くなってしまいました。看病を続けた「キノ」という日本人の妻も、夫の後を追うように、亡くなったそうです。モレルが山手の外国人墓地に葬られると、誰かがその墓のそばに、二人が好きだった梅の木を植えました。すると不思議なことに、一本の枝に紅白二色の花が咲きました。人々は、二人の愛情の深さが咲かせたんだと噂しました。一説には、一つの花の後に二つの実がなったともいわれています。残念ながら、その珍しい梅の木は、すでに枯れてしまったということです。
●亀の子石
 むかしむかし、本牧の海で、その日は魚がとれず、漁師が網で引き上げたのはたった一匹の亀の子でした。漁師は、亀の子を舟底に放り出すと、家に帰ってしまいました。「見ろよ、亀の子がいるぞ」。浜辺で遊ぶ子供たちは、舟底の亀の子を見つけると、拾い上げ、投げたり蹴飛ばしたりして、ついには死なせてしまいました。その夜のことです。嵐の季節でもないのに、天候がひどく荒れました。浜辺近くの岬が地響きをたててくずれ、土砂が冷たくなった亀の子の上に降り積もりました。「死んだ亀の子のたたりだ」。村人たちが亀の子を供養しようと、掘り出してみると、亀の子は石に姿を変えていました。「かわいそうに」と、一人の老女が石の亀の子をなでました。すると、不思議なことに長年わずらっていたぜんそくがぴたりと治ったのです。それ以来、せきに苦しむ人々は、三之谷にまつられた、亀の子石をなでに来るようになたということです。
※出典「市民グラフヨコハマ第111号・民話の里」。一部、改編したところがあります。