南  区
●竜の影法師
 むかしむかし、堀ノ内の宝生寺の池に、大きな竜がすんでいました。竜は池を抜け出しては境内の千年松に登り、海を眺めたり、満月の夜、自分の巨大な影法師をつくったりして楽しんでいました。 ある日、池の縁から「寺を建て、多くの人々を救いたい。竜様、お守りください」という祈りの声が聞こえてきました。あまり熱心だったので、竜はその声の主の夢枕に立ち「その願い、かなえよう」と告げました。この竜の加護によって建てられたといわれるお寺が、今でもいくつか残っています。それらは竜の影法師の範囲内にあり、頭は磯子区滝頭の密蔵院(磯子の金蔵院とも)、宝珠を握る右手は磯子区岡村の竜珠院、尻尾は中区元町の増徳院といわれています。横浜が発展し、宝生寺の近くに堀割川ができると、ちょうど影法師の首が切られたような形になってしまったため、いつのころからか竜はいなくなってしまいました。その後、千年松も元気がなくなり、昭和の初めには枯れてしまったということです。
●道慶橋
 むかしは、海が南太田あたりまで迫っていました。そのため、村人たちは、近くへ出かけるにも舟を利用しなければなりませんでした。この地に住んでいた道慶というお坊さんは、舟を使う村人たちの安全を祈って、渡し場の近くにお地蔵さんをつくりました。村人たちはたいそう喜び、このお地蔵さんを大切にしました。しばらくして、埋め立て工事がはじまり、海だった場所は、吉田新田という新しい土地になりました。ところが、大岡川の流れが行く手を遮っていたため、新田へ行くにはかなり遠回りしなければなりませんでした。それを見かねた道慶は、自費を投じて、村人たちのために小さな木の橋を架けました。村人たちはこの橋を「道慶橋」と呼び、感謝して渡ったということです。今では車も通れるほど頑丈な道慶橋のたもとに、地蔵堂があり、道慶と村人の思いを現代に伝えています。
●お不動様の腹ごもり
 むかしむかし、六ツ川の定光寺というお寺の裏山に、大きな木が茂る森がありました。村人たちは、この森を災害や病気から守ってくれる大切な「鎮守(ちんじゅ)の森」としてあがめてきました。その森の奥の方に、まるで森の主のような、ひときわ目立つカシの大木がそびえ立っていました。その木は、土の中から何本もの太い幹がまとまって生え、遠目には一本の大木のように見える不思議な形をしていました。これこそ仏様の宿る木だと、村人たちは、この木の幹と幹のすき間に、いつしか石のお不動様をまつり、お参りするようになりました。時がたつにつれ、大木はどんどん生長し、木の中のお不動様はしだいに幹におおわれ、ついには木の中に隠れて見えなくなってしまいました。村人たちは「カシの木がお不動様を腹ごもりした」と驚き、この大木をますます神聖な木として、大切に守り続けたということです。この話を伝えるカシの大木は、樹齢500年となった今でも定光寺の裏山にそびえ立っています。
※出典「市民グラフヨコハマ第111号・民話の里」。一部、改編したところがあります。