磯子区
●妙法坊の大カヤ
 むかしむかし、杉田の妙法寺に妙法坊というお坊さんがいました。妙法坊は、金沢の称名寺のお坊さんとの碁の勝負に勝って、称名寺の2対の仁王像をもらいました。妙法坊は力持ちで、その仁王像を背負って、一日で甲州(山梨県)の身延山久遠寺に運びました。いくら力持ちとはいえ、重い仁王様を背負って山道を歩くのは、大変なことです。お腹が空いてたまらなくなったとき、妙法坊の襟元にぽとっと落ちたものがありました。見ると、それはカヤの実でした。周りを見るとたくさん落ちているので、妙法坊はそれを拾い集めて食べました。すると不思議なことに、今まで治らなかった頑固なせきがぴたりと止まったのです。身延山からの帰り道、妙法坊は三本のカヤの苗を持って帰りました。そして一本を金沢の上行寺へ、一本は自分の家に、一本は妙法寺に植えたということです。妙法寺と上行寺の境内に現存するカヤの大木は、この話にまつわるものといわれています。また、カヤは碁盤に用いられる木というのも何かの縁かもしれません。
●氷取沢
 むかしむかし、氷取沢は、長沢と呼ばれて、家もあまりない山奥の村でした。冬の間はとても寒かったので、山には氷室(ひむろ)がつくられていました。氷室とは、山に穴を掘り、冬の間に切り出した氷を保存しておく場所のことで、夏の氷は、冷蔵庫などのない時代、たいへん貴重なものでした。長沢の人が、夏の暑い時期に、氷室から出した氷を、鎌倉幕府の執権・北条高時に献上したところ、高時はとても喜び、長沢の村人に「これからは村の名を氷取沢にし、氷づくりに励みなさい」といいました。それから長沢は、氷取沢という名になったということです。
※出典「市民グラフヨコハマ第111号・民話の里」。一部、改編したところがあります。