都筑区
●早苗地蔵
 むかしむかし、折本に了信という子供連れの旅の僧が住み着きました。村には、まだ米づくりに必要な水が足りませんでした。不作に悩む村人たちを見て、了信は山を切り開いて、谷戸の川から水を引こうと、溝を掘り始めました。来る日も来る日も一人で溝を掘り続ける了信の姿を見て、村人たちも「力を合わせれば、きっと水が引けるに違いない」と溝掘りに参加するようになります。途中、二回の山くずれで、了信ら十二人が命を失うという大惨事にもくじけずに、村人たちは溝を掘り続けました。そして、ついに、西原橋のせきから切り開かれた沢を通って堂ケ坂に水が流れ、折本村の水田はうるおったのです。村人たちは感謝の気持ちをこめて、苗代から抜いた早苗を了信たちを葬った塚に供えました。そこはいつしか早苗塚といわれ、その後、塚の上に二体のお地蔵様が建立されると、二体はいつしか「早苗地蔵」と呼ばれるようになったということです。
●ぼたもちと大根
 むかしむかし、池辺(いこのべ)の谷戸周辺の農家では、毎年秋に、収穫を祝うぼたもちをつくりました。このぼたもちは、それぞれの家で食べるだけでなく、畑のカエルにも供えられました。それというのも、大根畑を耕すときに、くわでカエルを傷つけてしまうことがあるので、そのおわびにお供えをしたのです。あるときのこと、農家の人が大根畑にぼたもちをお供えすると、畑の穴から、肩に傷のある大きなカエルが、ぴょんぴょんと出てきました。そして、ぼたもちのところまで行くと、頭を少し下げ、ぼたもちを背中の方へひょいとはね返すと、ぼたもちは見事に背中にのり、カエルは元の穴へと戻っていきました。畑の大根たちは、カエルがぼたもちを持ち帰る姿を、よだれをたらし、首を長くのばしながら眺めました。それ以来、大根の首が土の上に出るようになったということです。
※出典「市民グラフヨコハマ第111号・民話の里」。一部、改編したところがあります。