宮藤官九郎初監督の映画「真夜中の弥次さん喜多さん」効果か、東海道が注目されている?本来、東海道は東山道とセットで、古代から東日本から京の都への官道として整備されていた。その時代背景によってルートは変わっているが、保土ケ谷区のPRする東海道は、徳川家康が江戸入府に伴い整備した伝馬制度の宿駅としての保土ケ谷宿をいう。東海道五十三次、日本橋を出て4番目の宿場町。距離にして32km。平均40km/日を歩いた当時の旅人にとってちょっと短めだったが、健脚でない者や遅く出立した者にとっては重宝したに違いない。十返舎一九・東海道中膝栗毛の弥次・喜多は保土ケ谷宿を通過して戸塚宿で宿をとっている。では、旅してみよう。
相鉄線「天王町駅」〜JR「保土ヶ谷駅」〜JR「東戸塚駅」
第3代黄門様のご実家

 「橘樹」と書いて「たちばな」と読む。ここから川崎にかけて古代から続く郡名で、ヤマトタケルの東征にあたり、海神に身を捧げて渡海を助けたオトタチバナヒメを由来とする。天王町にある橘樹神社は、江戸時代まで牛頭天王社と呼ばれていただけに祭神はスサノオ。疫病除けに御利益あり。ここを起点にタマちゃんで有名になった帷子(かたびら)川を渡り、相鉄線天王町駅を過ぎると駅前公園に出る。公園に橋の欄干のようなモニュメントがあるのは、昔、帷子川がここを流れ、それにかかる新町橋が安藤広重の浮世絵・保土ヶ谷宿に描かれたからだ。ここから一直線に宿場を思わせる道が続く。宿場町特有の各宗派寺院が今でも点在して、各寺とも往時を偲ばせる故事来歴や活躍した人物の墓碑などがある。
狛犬うん
橘樹神社
狛犬あ
絵馬
帷子川
新町橋跡
香象院大釜
墓地奥のビジネスパーク
掃除具置き場に郷土愛の碑
見光寺
よく手入れされている庭
青木雨彦文学碑
天徳院
三界地蔵
眼科医宮本周司の墓
遍照寺
念仏供養塔
案内プレート
宿場らしい家
帷子会館も味がある
直線的な旧東海道・保土ヶ谷宿
改修後の今井川
JR保土ヶ谷駅
金沢横町の道標
宿場通り帷子番所
 参勤交代の際の大名の宿泊所として、宿場には本陣・脇本陣が設けられた。保土ヶ谷宿では苅部清兵衛が代々、本陣・問屋・名主の三役を務めた。苅部家はもともと小田原北条氏の家臣で、鷹狩り好きの徳川家康から餌場としての狩場管理も任されている。伝馬制の宿場は公用に関して24時間無償で役務提供しなければならない分、税金が免除されていた。とはいっても本陣に泊まった大名は対面を保つ意味もあって下賜金を渡す慣行があり、明治天皇が京都から東行(東京遷都)の折り、苅部本陣に宿泊した際、これに倣って金一封を置いていった。この宛名に「軽部」の文字があったことから役場に届け出、以来本陣苅部は軽部を名乗るようになった。さて、本陣の前で街道が右に折れる。左手に見える外川(とがわ)神社は明治に出来たものだが、江戸時代は何だったんだろう?一里塚とも上方見附ともいわれ、ここまでが宿内。今は河川改修で全く風情がなくなった、地形をいじったせいか事故が絶えない。昔ここに何があったかその真相は別の機会に。さて、出羽三山供養塔のある歩道橋の先を旧道に沿って歩く。手打そばきむらで人気メニュー・天ざるを食す。この沿道が保土ヶ谷元町といって、初期の保土ヶ谷宿といわれる。当時のルートは諸説あるものの「保土ヶ谷」という地名もこの辺りを起源とする。元町ガードのY字路を左に、庚申塔を過ぎたら権太坂に入る。
苅部本陣
本陣跡の碑
本陣消防出張所
脇本陣・旅籠本金子屋
大仙寺
女力持ち・おでんの墓
改修工事中の今井川
上方見附・外川神社
出羽三山供養塔
見上げると家
手打そばきむら
人気メニュー・天ざる
保土ヶ谷には稲荷が多い
保土ヶ谷元町ガード
原風景を残す今井川
さかな屋
庚申塔
 権太坂の名の由来は2説ある。耳の遠い百姓が坂の名を尋ねられたのを勘違いして自分の名を言ったためという説と、坂を開削した藤田権左衛門のゴンザが転訛したという説。坂の上に藤田農園があるし、従来から開発地に開発者の名を冠する慣例があったことを考えればゴンザかな?でも、個人的には歌舞伎の義経千本桜「いがみの権太」にあやかって有名になったと思っている。かなり高低差のある4段構えの坂で、特にキツイ1番坂の上に茶店があったという。たぶん開削した藤田が経営し、坂の維持にあたったと考えられる。登り詰めるとバスのロータリーがある。左に行くと投込み塚の供養碑。江戸時代、伊勢まいりが流行ると弥次喜多のように身辺整理し、「行き倒れの際は当地の作法で処置して欲しい」旨の通行手形を持った旅人が多かった。そのような行き倒れた人を投込んだ穴が、この一帯の住宅開発で発掘された。その供養碑であって塚ではない。その真相は闇の中に。道を戻って境木地蔵へ。ここが本当のピーク。武相国境となり、品濃坂を下って戸塚宿に至る。マンション開発がこの辺りの景観をガラリと変えてしまった。境木の由来となる傍示杭が最近立てられ、道もまた改修された。幕末、近藤勇が他流試合に来たという萩原道場にちょっと寄り道。一里塚として昔の面影を今に伝えている品濃一里塚を過ぎたら、右手にビル群が見える。その向こうに東戸塚駅がある。
保土ヶ谷バイパスと交差する坂からランドマークタワーが見える
権太坂改修記念碑
石柱
御狩場を望む
境木商店街
投込み塚供養碑
立場・若林家
境木地蔵
石の地蔵尊
境木の由来となる傍示杭
萩原道場跡
戸塚宿へ品濃坂
品濃一里塚
東側は児童公園
マンション脇の新道標
公園内の庚申塔
東戸塚オーロラモール
JR東戸塚駅
こんなもの見つけた
ミニ自転車
香象院の警告
急須のフラワーポット