まず、入洞料を払い、ろうそくを受取り、入口にある手燭台(棒切れに釘を打ったもの)に差し込み、灯るろうそくの火を継ぐ。さて、まっすぐに坑道をたどる。すると、十二神将・秩父観音・西国観音・一願弘法大師・四国霊場・十八羅漢などが壁面に様々に彫り込まれているのを、ほの明かりの中で目の当たりにする。全体の一部ほぼ500mほどの暗闇探検だ。今では要所々々に電灯がついているので、ろうそくが消えても心配ない。
この洞窟に面白い伝承がある。鎌倉時代の初め、この辺りに幕府侍所別当・和田義盛の三男・朝比奈三郎義秀の館があったという話。1213年の和田合戦の際、敗色が濃くなると、館に火を放ち、手勢とともにこの洞窟から逃れたといわれる。朝比奈三郎といえば、一夜で鎌倉と金沢を結ぶ(朝夷奈)切通しをつくったという逸話が残る剛の者。義経同様、英雄には生存説がつきものらしい。
この辺り一帯は鎌倉の鶴岡八幡宮領だったといわれ、田谷の洞窟で有名な定泉寺は鶴ヶ岡二十五坊の一つに数えられた。この洞窟は田谷山瑜伽洞といい、真言密教の道場として、鎌倉時代から掘り継がれたもの。いつ崩れるか知れない真っ暗闇の中で、手燭の灯りのみを頼りに、ただただ掘るか、座禅を組むか、いずれにしても「無」「空」を悟るための修行がなされたことは確かに違いない。今はラドン温泉で極楽気分だ。