撮影ポイント 語らいポイント 室内なら1号倉庫2階奥
新港埠頭保税倉庫。通称・赤レンガ倉庫は、南側の1号倉庫が明治41年着工、大正2年竣工。北側の2号倉庫は明治40年着工、44年に竣工した。1号倉庫は関東大震災で中央部が崩壊したため半分しか残っていない。新港埠頭自体は、横浜築港計画第二次工事により明治32年に着工して38年に竣工した。長期間の保管所を倉庫といい、一時保管は上屋(うわや)という建物が利用された。臨港鉄道の引込線が各建物のプラットホームに横付けされ、荷が積み卸しされるのだが、4号岸壁はかつて国際ターミナルとして活躍した。そこには賓客用の4号上屋と呼ばれる豪華な内装を誇った建物があった。戦前に行われた海軍の観艦式では、昭和天皇がお召し列車で4号上屋隣接の「港駅」に着いて、貴賓室で休息後、ランチ(短艇)に載って旗艦へ向かった。そのプラットホームには今、オノヨーコの作品・貨車が止められている。ちなみに、新港埠頭は戦時中、他の埠頭とともに陸・海軍の補給所として利用され、戦後は昭和31年まで米軍に接収された。横浜港のドル箱埠頭の再開を悲願とし、その前面に見える瑞穂埠頭を永久接収地として提供することで接収解除されるに至った。
かつて「裕次郎」や「圭一郎」がロケに使い、一時は落書きだらけとなった赤レンガ倉庫は、長い年月をかけて、補強・改修され、シャレたショッピングモールに変身した。ただ気になるのは、ワールドポーターズの店舗に似たようなものが多いこと。いったい赤レンガ倉庫にふさわしい内容なのだろうか。それに、1階部分をテラスにしたために、温室のような構造物が張り出すように造られてしまったことには、落胆した。もう、ロケに使うにはジャマとしか思えない。今後、赤レンガ倉庫がどうなるのか?その答えは月日が出してくれるに違いない。それにしても、この広さ、この照り返しは妙に夏を感じさせる。サウナ気分なら赤レンガ広場、日焼け気分なら赤レンガパークだ!
1号倉庫は、1階横浜関係グッズ、2階ギャラリースペース、3階舞台・ホール。2号倉庫は、1階小物と軽食、2階インテリア・雑貨、3階レストラン。1号倉庫の2階奥が無料のラウンジとなっているものの、業界の人の打合せ場所として占領されているのが玉にキズ。
とにかくまだまだ人波は続く。食事場所にいたってはいずこも行列のできる店と化しているので、もうちょっと時期を見計らって訪れたい。
芝生の広場からは、新しい大さん橋と、その向こうにベイブリッジが見える。1号倉庫でテイクアウトして、芝生で食事も悪くない。