撮影ポイント 語らいポイント ポイント
1876(明治9)年に開園した日本で最初の洋式公園。一方、洋式公園のはじめは山手公園ともいうが、それは外国人のみの手でつくられ外国人が占有した。横浜公園は居留地外国人と日本人の共同使用を名目に日本政府の負担でつくられたため「彼我公園」とも呼ばれた。開園前は、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の題材にもなった港崎遊郭があった。園内には異人揚屋・岩亀楼の石灯籠が残っている。その遊郭街も関内一帯を焼失させた豚屋火事で移転した。
関東大震災の折には、約5万人の市民が横浜公園に避難した。そのとき、偶然にも水道管が破裂して公園一帯が水浸しとなり、ほとんどの人が助かった。ちなみに東京では、本所の陸軍被服廠(今の江戸東京博物館辺り)に避難した3万8千人が、炎と熱風によりほとんど焼死している。東京に比べて横浜がホッとできる町だといわれるのも、そんな偶然がいわせているのかもしれない。
チューリップの咲く頃
 
横浜スタジアム
昭和9年アメリカの大リーグ・オールスターチームが横浜公園の野球場でゲームをした。このときベーブ・ルースは2本ホームランを放った。終戦後、米軍に接収されて「ルー・ゲーリック球場」と改名。昭和27年の接収解除後は「平和球場」となった。飛鳥田市長の時代、大洋ホエールズを誘致する球場づくりを計画。市民を中心に出資を募り、幾多の障害を克服し、丸1年の突貫工事を経て昭和53年にオープンした。