横浜は、幕末の安政6年(1859)に世界の門戸として開港場とされると、飛躍的に発展した。以降、横浜は都市化の一途をたどる。今に至るまで五重苦と呼ばれる「震災」「恐慌」「戦災」「接収」「人口急増」に翻弄されながらも着実に都市を形成してきた。そのうち、昭和前期を中心に「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の3視点から展示されている博物館なのだ。主にパネル展示が中心で、原物やレプリカ展示も限られているように感じられる。歴史博物館と比べると一般受け、特に子供受けしない内容なのが気にかかるほか、くつろげるスペースがない。その意味で、展示規模ともども、横浜開港資料館と遜色ない程度のコンパクトさに納めているものと思いたい。昭和史が好きなカップルは別として、この場所を横浜デートコースに入れたら、愛想づかし間違いない。逆に、やむなく付き合っている人と別れるためにはピッタリの場所かもしれない。
旧横浜市外電話局の建物の外観を残して、昭和モダンなシルエットを見せる。あくまで事務的なイメージだけに、隣の横浜情報文化センターに比べて入りにくい。裏手にまわるとレンガの下水管や鉄管がモニュメントのように並べられた広場があるものの、やはり落ち着かない雰囲気がある。窓という窓に無造作に貼られたポスターが、館のイメージを象徴しているかのようだ。歴史的建造物を残す=博物館をつくる=研究・展示・公開する・・・いつまで経っても、金太郎飴のような発想でハコモノが作られる。だからといって、ハコモノを否定し、文化を犠牲にした経済発展もいただけない。「情報」を資産にする発想が、今の停滞を打開し、成功に導くカギだと思うが、アナログ人間の少人数経営では決して達成できない課題だろう。都市発展記念館の中に、ユーラシア文化館という、「日本人騎馬民族説」を唱えた東洋学者・江上波夫コレクションを展示した施設も併設されている。ここの展示も小出し気味で、あっと驚くような仕掛けがない。なんでこんな中途半端なものをつくったんだろう?貴重な資料は一部の学芸員のものではないはずだと信じたい。今、広場になっているところに「山下消防出張所」があった。幾たびもの荒廃に対して、不死鳥のごとく甦った横浜だけに、出張所には防災を意識した展示がされる(野毛・老松の震災復興記念館のようなもの)と思ったが、ただの更地にしてしまった。この場所において日本初の消防車と救急車が誕生し、先駆的な近代消防を実践してきた歴史的位置づけを誰も考えなかったのだろうか?そういえば、消防訓練センターに川上消防組の戦前・戦中ポスター等の貴重な史料があったが、今でも倉庫に眠らせているのだろうか?都市化と防災は切っても切れない関係だと思う。
この施設が最近できたものだけに横浜市の歴史・文化に対する考え方がいちばん表現されているといっても過言ではない。資産価値のない歴史資料館や博物館に民間企業は手を出さない。まさしく「公」の独壇場となる訳だが「民感」とは何か今後の経営手法に注目したい。