この写真のようにどこでも「撮影ポイント」と「語らいポイント」になります。ぜひ、一度たずねてみてください。
 1880(明治13)年から1886(明治19)年までイタリア領事館がおかれていたことから「イタリア山」と呼ばれた。JR根岸線石川町駅ホームから見えるトンネルの真上にある。南口を降りて元町商店街に行こうとする直ぐ右手の大丸谷坂を上ると、イタリア山庭園に至る階段とアーチがある。
 位置によって庭園の風景が異なり、ファッション雑誌のグラビア撮影にはもってこいのロケーションが数多くある。空間が広いせいもあって、遠近いろいろな構図が採れる。このような広い庭園を持つ洋館を山手のいろいろな箇所で公開したら、神戸・北野の異人街など足元にも及ばない横浜の観光メッカになるに違いない。庭園からは、みなとみらい地区と、マリンタワーやベイブリッジが遙か向こうに見渡すことができる。
 イタリアによくある庭園様式を模して造られているのだそうで、シンメトリックのようでそうでないさり気なさがおしゃれ。そのせいかどうか判らないが、イタリア人と思わしき老夫婦が散歩していた。それに、チョコマカあちこちを動き回っている子が、お孫さんなんだろうけれど、カメラを向けるとポーズをとってしまうところがすごい。こんなヨコハマらしい光景が見られるのも、いつまでなんだろう?
 目下の所、横浜は、みなとみらいにばかり気を取られていると思われてならない。そのために、山手本通りのめぼしい洋館がバブルのときに買いあさられ、いつでもセントジョセフの跡地のようにマンションが建つ可能性がある。ここ数年、歴史と文化を大切にしない貧困さが横浜にはあると思うと悲しいばかりだ。例えみなとみらいのような近未来の都市を造っても、東京・臨海副都心が本格的に開発されればアッという間に人気は去ってしまう。企業誘致しても一向に進出して来ないのは、きっと別の未来が見えているからに違いない。国内の主要都市のどこでも似たような高層ビル群はあるけれど、近代日本の表玄関として、歴史の表舞台に立った開港都市・横浜は、唯一ここにしかないのだから、ぜひ山手イタリア山庭園のような保存方法をとってもらいたい。
外交官の家
 明治の外交官・内田定槌の邸宅として、1910(明治43)年に東京渋谷に建てられていたものを移築した。国の重要文化財に指定されている。もともとここに建っていたかのようで、まったく違和感がないのは、横浜の山手地区が持つ歴史と風土によるものだ。今から20年ほど前だったら、移築しなくても山手のあちこちにこのような洋館があったので、実に惜しまれてならない。ここには、喫茶室も設けられていてなかなかいい雰囲気だ。
ブラフ18番館
 カトリック山手教会の司祭館として使われていた建物。1923(大正12)年の関東大震災後に建てられた外国人住宅で、山手町45番地にあった。元町で製作されていた横浜家具を復元展示。2階では、図書やビデオ、コンピュータ検索などにより「横浜山手」の歴史に関して知ることができる。