撮影ポイント 語らいポイント お願い事も叶う
古社は必ず背後に山を負い、古い高木を従える。そのいずれもが神の依り代として無くてはならないものだから。ある高名な郷土史研究家の先生から「墓は嘗めてみろ、木には触れてみろ、山には登ってみろ」と教わった。そのとおりに登ってみると、小さな山にもかかわらず、眺めは爽快の一語に尽きた。
弁天島(琵琶島)
瀬戸神社の正面に弁天島がある。その形が琵琶に似ていることから「琵琶島」とも呼ばれる。源頼朝の妻・北條政子が夫にならって近江・竹生島から勧請した。船寄弁天とも呼ばれ、江戸時代に海路を利用して金沢八景見物や大山詣でに来る船客の渡し舟がここを乗船場とした。洲崎にも乗船場があり、客の奪い合いが過激化し、ついには商売敵の客を海に落とすという荒技まで飛び出したそうだ。
有名になるといろいろな名所を造ってしまうのは今も昔も変わらない。金沢四名石の一つ「福石」は島の入り口にある。
六浦は、倭名類聚抄に「鮎浦(ふくら)」とあり、袋のようになった入り海のことといわれている。地名は何が正しいというものはなく、まず読み名があって、あとから漢字があてられたと考えた方がいい。当然方言もある。「ふくら」と呼ばれていた地名が「むつら」に転訛したのは、陸奥(ムツ)の浦(ラ)=港からきていると私は考えている。「ふくら」は現地の人々が嘉名読みして名付けたもので、「むつら」は陸奥に行くための海上ルートの最終寄港地として宮人が名付けたものだと思う。瀬戸神社からは古墳時代の祭祀遺物が出土し、その古さを物語っているのだから、古代から地理的に重要な場所だったのだろう。縁起には源頼朝が伊豆三島神社の分霊を祀ったことから始まったとされ、その点、古来から海神を奉ずる場所だった。それにしても、似たような写真を撮っても、少しずつ撮影場所を変えるだけで違った景色に見える。なんで貸ボート屋が近くにないんだろう。