No.110
 ブームは夏だったと八木邸のボランティアガイドさんがいう。大河ドラマの中で近藤勇が処刑される前に訪れることができた。入洛した浪士隊(新選組)が最初に屯所を設けた壬生は、今でこそ京都市中京区にあるが、往時は見渡す限りの田園地帯・壬生村だった。二条城に近く、前川本家が御所・所司代と密接な関係があったからというものの、寄せ集めで氏素性も判らぬ食詰め浪人を洛中から遠ざけたかったに違いない。
 壬生巡りは、四条大宮駅から始まる。四条通りを西へ進んですぐの人道踏切を渡る。駅方向の線路敷きはもともと隊士が葬られていた場所だった。その路地の隣が光縁寺。山南敬介の墓があることで有名だ。寺の前の通りを西に進むと旧前川邸に出る。今は製袋所となり非公開。芹沢鴨斬殺の場を残す八木邸は、説明付で有料公開されており、見学が終わると菓子司で抹茶と屯所餅が供される。狂言で有名な壬生寺には、壬生塚があり、新選組の歌が流れる石碑や近藤勇の胸像がある。そこから南へ1kmほど行くと隊士が遊んだ島原遊郭だ。大門と置屋の輪違屋、揚屋の角屋が残っている。どこの遊郭とも同じように、当時の面影を残しつつもひっそりとして寂しい。帰りの新幹線車内で屯所弁当1300円を食べて旅を締めくくった。
壬生の起点・四条大宮
光縁寺本堂屋根
山南敬介らの墓
旧前川邸
顔ハメ看板がある
内部は非公開
公開中の八木邸
ガイドとともに順番制
抹茶と菓子付
壬生寺
歌うあゝ新選組の碑
近藤勇胸像
島原大門
その名も大門亭
輪違屋
周 辺 探 訪
 四条通りを東に突き当たると祗園・八坂神社に至る。円山公園を抜け、高台寺の前を通ると霊山護国神社の参道に出る。市中を一望できる場所だけれど、見上げるような東山の斜面の一角にひしめくように供養塔が立っている。下関・桜山神社の招魂場と比較すると、勤王の志士たちの遇され方の似て非なるものを感ずる。新選組にしても志士にしても、墓に葬られたのは数える程度で、状況や身分で考えれば投込みか打捨て同然だったのではなかろうか?
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