No.111
 1970年代に一世を風靡しながらも、三浦友和との結婚のため芸能界を引退した永遠の大スター山口百恵は、この横須賀に育った。デビュー当時、彼女の近所に住む友人がサインを一緒にもらいに行こうと誘うのを、恥ずかしくて断わってしまったことが今さらながら悔やまれる。もし彼女が横須賀を訪れたなら、同様に横須賀を離れた同世代の私と同じ感慨をもって、この街・この通りを歩くに違いない。
 山口百恵の住んでいたところから下町(大滝町辺りの呼称)へは、上町通りを行くのが常だったから、私のように汐入からドブ板通りを抜けて行くような危ない行き方はしない。当時はベトナム戦争まっただ中で、米兵から拳銃を向けられたり、爆竹を投げつけられたりは当たり前だった。通りの裏に建つ家では昼間から窓を開け放したまま秘め事をする娼婦の姿が見られた。街を闊歩する米兵の姿は円高の影響で今はない。明治22年に開業した横須賀駅からヴェルニー公園(当時、臨海公園)を歩き、左手に米軍横須賀基地を眺めながらベイスクエアを横切ってドブ板通りに入る。きれいに整備されてしまったから、ドブ板通りらしさを見つけるのは難しい。地元出身の歌手に渡辺真知子がいる。山上に建つ緑が丘学院(現在、女子高校)出身で、新体操部とともに異彩を放っていた。横須賀の老舗百貨店・さいか屋は屋上に遊園地があって、○にサの字の旗が立っているお子様ランチは羨望のメニューだった。戦艦三笠にあやかって名付けた三笠ビル。途中、裏手の山へ登り、豊川稲荷社から下町を眺める。今度は大滝町通りに平行する裏手の通りを行く。映画「豚と軍艦」に描かれるヤクザ世界が脈々と息づいている。金星劇場やモーリ食堂が健在でホッとしたのもつかの間、コミック「庖丁人味平」で描かれた洋食屋・ブルドッグの姿はなかった。あのカニピラフを百恵さんも食べたと思うと時代の流れを実感するばかりだ。
JR横須賀線
駅構内
横須賀駅
ヴェルニー記念館
ヴェルニー公園
ベイスクエア
汐入ベーカリー
ドブ板通りへ
延命地蔵
ワッペン
渡辺真知子
ドブ板通り
スカジャン
さいか屋
お好み食堂
屋上フロア
三笠ビル
三笠通り
参道入口
階段
豊川稲荷
境内からの眺望
ピンク映画館
旧みどり屋ビル
自衛官御用達
大滝町通り
横須賀中央駅
駅前デッキ
思 い 出 探 訪
 だれでもそうだとは言い切れないが、幼稚園・小学校は、日の暮れるまで夢中になって遊び回った楽しい記憶が残っている反面、中学校は、交友エリアが広がるのと同時に、貧富の差などの家庭環境、学業・スポーツの出来不出来による差別やいじめが横行し、思い出したくもない日々を送っていたような気がする。高校になると、同じ境遇の者が集まるところだから、森田健作を地でいくような青春を謳歌してばかりいた。結婚を機に横須賀を離れたので、横須賀はパンドラの箱的存在なのだ。
幼稚園
隠れ家
初恋
憧れ
坂道の町
行きどまる路地