No.113
 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、富山県出身ながら東北大学工学部へ入学した。世界的に注目され、教授や管理職の道を約束されながらも未だに京都の島津製作所の研究室で第一線を退かない姿勢を保つ信念はいったい何なのか?「自分自身に責任を持ち、挑戦し続けたい」そのことを東北大学で身につけたと語っている。
 東北大学は、東京大学・京都大学に次いで三番目の帝国大学として明治40年に創設された。建学の精神は「研究第一主義」と「門戸開放」。当初、仙台の理学大学、札幌の農科大学(のちの北大)の二つの大学からなり、医学、工学、法文学、金属材料研究所が順次併設された。大正元年に帝国大学として初めて男女共学を実現したことでも先駆的な位置を占める。大正11年に来訪したアインシュタイン博士が「恐るべき競争相手は東北大学である」と述べたといわれる。しかし、医学部の前身である仙台医専に入学していた魯迅が、講義の合間に見せられた日露戦争のスライド写真(ロシアのスパイとされた中国人が見せしめに日本軍の手で斬首)に同級生が拍手喝采をしたことから明治39年に退学し、文学による祖国救済を目指し、辛亥革命へと身を投じることになったのも歴史の皮肉である。とはいうものの、東北大学のキャンパスは市内に5箇所あり、どれもかなり広い。中でも片平キャンパスは歴史が古いのだが、戦時中の空襲により焼失。建物自体は木造だったり、レンガだったりとちぐはぐな感じを受ける。聞けば「要するに中身の問題であって、外観は気にしない傾向がある」ということだった。創立百周年事業として、仙台城址のある青葉山丘陵にキャンパス統合を計画しているというが、どのような大学になろうとしているんだろう?今回、東北大学史料館展示室が閉鎖されていたので残念だった。
銘板
正門
北門
旧制二高正門
北門食堂
階段教室/キャンパス計画室
多元研事務室
文学部考古学収蔵室
医専跡碑と魯迅像
真島先生像
歌碑
公孫樹の巨木
液化窒素の霜
旧制二高生像
職員集会所
植物温室
東北大学史料館
古墳出土石棺
大学本部棟
何かあるかな?
 大学といえば、生協と学食に興味がある。しかし、ニートとかパラサイトとか定義付けがされる時代を反映してか、それとも学生のいない時期に訪れたせいか活気がない。プレハブの中をウロウロしても目立つものや東北大学らしいものがない。かろうじて研究室お茶タイム御用達の石垣くずれがあった。
キャンパス内生協
施設内
石垣くずれ