日本のどこか遠くへ行きたい。国内旅行紀行
No.119
 神話の国といえば、出雲・因幡の国、今の島根県・鳥取県にあたる。選挙のたびに有権者数の比較で人口の少なさの代表として名指しされる。それだけに開発が進まない。おかげで神話の世界は地中に眠りつづけている。それがついに1998年から2001年に行われた山陰高速道建設に伴う発掘調査で「弥生の博物館」と称されるほどの埋蔵物が出土した。
 鳥取県鳥取市の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡という。遺跡出土物の地層分布から概ね2200年前(弥生前期)〜1700年前(古墳時代前期)の集落跡と推定される。海面が後進してできた平地に弥生人が進出して集落を形成、地質的に湿地だったためか、大規模な護岸施設や水田跡が広がる。古墳時代に入るころ、どこかへ去ったとされたが、奈良時代に地面を整地したと思われる遺構が出てきたため、継続して集落を営んでいたのではないかと考えられている。湿地だったために朽ちることなく眠っていた、中でも石器・青銅器・鉄器をはじめ、骨格器・土器・木製品など、それも製造途中の半製品や、いったい何に使っていたのかわからない謎の品物が続々と出土していて、興味が尽きない。一番注目されたのは、人骨の頭部に脳がそのまま保存されていたこと。ただし、発掘中はそんなことを全く想定していなかった。聞くところによれば、出土した状態で計測を終え、収納しようとしたところ頭部から白い液が流れたのでわかったらしく、そのときほとんど腐敗してしまいDNA鑑定に適さない状態にしてしまったことが惜しまれるそうだ。もし、間に合っていたらDNA鑑定の結果、弥生人の遺伝的なものがわかっただろうし、うまく保存して将来、弥生人の記憶を解析したり、ジュラシックパークのように弥生人をクローン化できたかもしれない。
プレハブの小さな博物館
下部の道路予定地から出土
貝塚で生活年限を測る
木・石・鉄などいろいろ
土器もいろいろ
動物の骨もいろいろ
祭祀物もいろいろ
木製容器もいろいろ
半製品も多い
大きな板も多数
柄つきの鉄斧
松で編んだ篭
「窓」と解説されているが「カイコ棚」のような気がする
絶滅種の動物の骨
ト骨の解説
歯槽膿漏のイノシシ
祭祀道具になった骨
犬を飼っていたらしい
 とにかくさまざまな道具を使っていた。また、ありとあらゆるものを食べていたらしい。人糞や獣糞の化石も出た。イノシシが歯槽膿漏になるのは飼育されて与えられた餌を食べ続けたせいらしい。魚やサメ、クジラ、鳥獣類などは雑多な形で骨が出土するのに、犬だけは1匹ごとに形状をとどめて骨が出土するのは食用ではなく愛玩用に飼っていたのかもしれないという。ところが、雑多に投げ込んだと思われる人骨が5300点約百人分出土した。うち110点に鋭い刃物などでつけられた切り傷や刺し傷(殺傷痕)のある骨があり、地層分布から約1800年前・弥生時代後期のものと見られ、魏志倭人伝や後漢書東夷伝にいう「倭国大乱」と同じ時期と重なり物議を醸している。
殺傷痕のある頭蓋骨
多量の人骨
鏃の刺さった骨
刀キズがある脊椎
手の骨にも刀キズが
出土した脳のレプリカ
ホルマリン漬けの脳
カリエスになった脊椎
人糞と獣糞
人面軽石
 殺傷痕のある人骨は男女・子どもの別なく出てきているというが、甕棺や方形墓ではなく折り重なってバラバラの状態なのが謎である。環濠集落の周囲の一部に位置しているからあながち外部の人間ではない。埋葬状況からは同族ではなく奴隷的待遇の者と考えてはどうか?すると、輪の土玉は奴隷の識別と員数確認用に首に巻かせたものではないか?出土物に多く描かれるサメの絵は、この一族のトレードマークだとすると、因幡の白兎に出ているワニ族かもしれない。すると、ワニを騙して赤裸にされたウサギ族が関わり、住環境に適さない湿地に集落を営み、高い能力のために生産活動に隷従していたと仮定するなら、旧相屋神社のあった丘から神殿若しくは環濠集落が出土した場合、支配・被支配の位置関係が見えてくる。打ち捨て同然の人骨は反乱で鎮圧されたもので、ケガレ感から後に法華寺が建てられたとき、寺地に組み入れられたというのはどうだろう。考古学というよりも妄想癖だと怒られるかもしれないが・・・。ちなみに白兎神社・海岸は東方約10kmのところにあるのも興味深い。
謎の土玉
ヒノキの輪に通してある
勾玉の首飾り
サメ模様の土器
サメの線画がある板
扇状の平地に集落があった
 まだまだ謎は多い。今後も出土品が増えるにつれ、驚くような事実が判明するだろう。窓枠→カイコ棚の件もそうだが、養蚕と絹織物に従事していたと考えると、謎の製品のいくつかは解決するに違いない。「腰掛けに刺さった犬歯」も昔の習俗で、歯を抜くと「下の歯は屋根上に、上の歯は床下に」とあり、たぶん腰掛けではなくて竪穴式住居の入り口の階段の下面に差し込んだものと考えるがいかがだろうか?
もっと謎に挑戦したい方は、http://www.aoishida.net/のホームページへ。
周辺探訪
 徐々に山陰高速道が整備されている。確かに高速道ができると早いことは早いが、片側1車線の対面走行が多いので結構怖い。今のところ、国道9号線が唯一の山陰道を堅持している。信号がある割には感知システムでもあるのか思いのほかスムーズに走れて快適に距離を稼げる。ただし、軽トラが前を走っていないことが条件だ。
魚見台
 青谷から白兎海岸へ向かう途中、岬の尾根を上がり道がカーブし始めると急に視野が広がる。魚見台という展望地があって覗岩から日本海が見渡せる。
覗  岩
覗いてみる
白兎海岸から鳥取砂丘
白兎神社・白兎海岸
 「隠岐の島に流されたウサギが、本土に渡ろうと考え、自分の仲間とどっちが多いか比べようと並ばさせたワニ(サメ)の背中を利用して渡海したが、だましたことがバレて、しかえしに皮を剥がれてしまった。そこへ、因幡の国に八上比売(やかみひめ)という美しい姫がいると聞いた出雲の国の八十神たちが通りかかり、海水を浴びて風にあたるとよいとウサギに嘘をいい、もっと惨い苦しみを与えた。しばらくすると、八十神の末弟・人のいい大国主命(大黒様)が現れ、すぐに真水で体を洗い、それから蒲(がま)の穂を摘んできて、その上に寝るようにいった。そうすると、すっかり元の白ウサギに戻り、そのおかげで大国主命は八上比売を娶ることができた」というのが「因幡の白兎」のあらすじ。この話には、ウサギ族とワニ族のかけひき、出雲からの武力と懐柔による因幡支配が神話の形で表されている。鬱蒼とした社叢林に囲まれ、前に池を擁して鎮まっている社殿。柱を支える菊文様の台石は珍しいという。洗水場に近づくと自動的に因幡の白兎の童謡が流れるのは実に楽しい。ちなみに白兎神社の「兎」の字には最初のハライ「ノ」がないので「鬼」の字に似ている。また、八十神に逆恨みされた大国主命は2度殺されてそのたびに蘇っている。
狛犬うん
鳥  居
狛犬あ
不増不滅の池
社  殿
案内板と顔ハメ板
内  部
支柱の菊文様台石
兎石と蒲
白兎海岸を望む
白兎海岸の石碑
白兎海岸は海水浴場となっている。隣接の砂浜は鳴き砂で有名だ