no.101 光太夫、「下関」を見聞す
「はやぶさ」の後部には「さくら」が連結されている せめてテレビがないと時間を持て余してしまう客室
下関に到着するとカラフルに色分けされた列車が並んでいた
新幹線に主要駅の座を奪われてノンビリが似合う駅 古くもなく新しくもなくこれといった特徴もない駅舎
駅前の「漁港食堂」は名前の割りにきれいな店。いわゆる「おふくろの味」で安く、一押しの食堂だ
駅前ペデストリアンデッキにある「平家踊りの群像」 大歳神社の階段を見上げると上る気がしなかった
大きな建物は関釜フェリーのターミナル 今一番新しい「海響館」行きのサンデンバス
唐戸は市役所もあって下関市のヘソ。「馬関」と呼ばれていたころの建物が並び、往時を偲ばせている
店じまいに忙しい時間、唐戸市場をのぞく 唐戸市場の前にある亀山神社。かなり大きい
亀山神社から続く展望所。実は商店の屋上なのだ お亀さんの祠とイチョウの木
難病治癒に霊験ありという「お亀ぎんなん」200円。実のアバタが由来なのだが、これってどこにもあるの?
亀山神社の参道横にある山陽道基点の石柱 床屋という名の由来がここにあるという記念碑
日清戦争後の講和条約締結地・春帆楼にある記念館 締結の様子を部屋や調度品で再現している
清国全権・李鴻章が暴漢に襲われ、避難路となった道 音符の門が特徴的な藤原義江記念館(休みだった)
李鴻章が宿舎として使った引接寺 引接寺山門の天井にある伝・左甚五郎彫刻の竜
竜宮を思わせる赤間神宮。電話ボックスにも門がある 春帆楼と赤間神宮に挟まれて、安徳天皇の陵墓
壇ノ浦で滅亡した平家一門の七盛塚。背後は天皇陵 平家一門の墓の前に建つ、芳一堂。まるで伝承そのまま
赤間神宮の脇参道奥の、中国から遷座した大連神社 大連神社の並びにある大東塾(終戦時自刃で有名)の碑
謡曲・碇潜や歌舞伎・碇知盛の舞台を思わせる 小公園から壇ノ浦と関門大橋を望む
桜山招魂社へ行く前に腹ごしらえ。「舞米亭」のクジラカツ定食は時価で、700円。このボリュームは安い
桜山招魂社はいたって普通の神社。背後に回りこむと、靖国神社のルーツとなった招魂石柱がいくつも並んでいる
忌宮神社前の商店街の一角にある維新発祥の碑 仲哀天皇の熊襲征伐の際、豊浦宮が置かれた
仲哀天皇・神功皇后を祀る忌宮神社 新羅国の塵輪(鬼の顔のよう)の首を埋めて石で覆った
明治の元勲・乃木希典を祀る乃木神社 乃木神社の境内地には復元した生家が建っている
乃木少年は勤勉だったが、父親からよく訓話を受けた 明治帝に殉死したときの刀の拓本。血糊が生々しい
長府武家屋敷の面影を色濃く残す、古江小路 代々藩中医家随一。武家より少し大きい菅家長屋門
鎌倉期禅宗様式が美しい国宝・功山寺仏殿 功山寺の歴史は室町まで遡る。長府毛利家の墓
守護大名・大内義長はこの寺の仏殿で自刃した 長門攘夷堂(長府博物館)の脇にある万骨塔
幕末・馬関戦争の火蓋を切った砲台(レプリカ) 早鞆の瀬戸ともいう。海にまつわる歴史に事欠かない
下関から門司まで続く人道トンネル。780mにわたる道を利用する人は、そのほとんどが体力づくりのため
救命胴衣は定員の一割常備。行き交う船舶の間をミズスマシのように走り抜ける。スリルと度胸の5分間だ
マンホールのフタまで、何でも「ふく」の下関 どこの森光子なのか、まぎらわしいぞ
やっぱり「長府侍町一丁目」では絵にならない リフォームだけに横文字。でも侍町バージョンなのだ