金沢区
●侍従川
 むかしむかし、戦に敗れた小栗判官(おぐりはんがん)とその家来が、境木(保土ケ谷区)まで逃れてきました。そこで出会った男が、親切にも小栗判官を家に招き入れ、照手という美しい娘に酒肴のふるまいをさせ、泊めてくれるというのです。この男、実は残忍な盗賊の一味で、酒に毒を盛って小栗らを殺し、金品を奪う魂胆でした。照手は、乳母の侍従とともに、旅の途中で一味にさらわれ、連れてこられていたのです。その照手の必死の機転で、小栗判官だけは藤沢の遊行寺へ馬で逃げ帰ることが出き、照手もなんとか脱出し、六浦(金沢区)まで逃げて来ましたが、とうとう追っ手に捕まり、川に投げ込まれてしまいました。けれども、照手は水中で一心に観音様に祈り、そのおかげで、野島近くの漁師に助けられました。それを知らない乳母の侍従は、近くまで来ていながら照手を捜しあぐね、悲嘆にくれて川に身を投げてしまいます。それからこの川は、だれいうことなく侍従川と呼ぶようになりました。小栗判官はその後、盗賊一味を退治し、照手を捜し出して妻にしたということです。
●久遠寺の黒仁王
 むかしむかし、杉田(磯子区)の妙法寺に、妙法坊というお坊さんがいました。ある日妙法坊は、金沢の称名寺に出かけ、称名寺のお坊さんと碁をさすことになりました。以前から称名寺の山門の立派な二対の仁王像をうらやましく思っていた妙法坊は「碁に勝ったら、私にあの仁王像をくれないか」と提案しました。称名寺のお坊さんは碁に自信があったので、それを承知しましたが、残念ながら負けてしまいました。悔しがりましたが、約束なので仕方がありません。 しかし、仁王像は大きいので、どうせ持って行くことはできないだろうと思っていました。ところが妙法坊は、軽々と仁王像を背負い、一日で甲州(山梨県)の身延山へ持っていってしまったのです。その仁王像が今も身延山久遠寺にある「黒仁王」で、大きな荷(仁王像)を一日で運んだことから、妙法坊は久遠寺の偉いお坊さんに「日荷上人」という名前をもらったということです。(参照:妙法坊の大カヤ
※出典「市民グラフヨコハマ第111号・民話の里」。一部、改編したところがあります。