日本を愛したジョルジュ・ビゴー
日本が開国したことにより、横浜からさまざまな日本文化が特有の商品とともに船出し、多くの欧米人に知られるようになる。
なかでも、文化・芸術の都パリの画家や画学生たちに多大な影響を与えたのは、
陶磁器や漆器を包んだ浮世絵、生糸や茶箱のラベルなどの商品に描かれた日本特有の色彩や構図だった。
パリに生まれ育ったジョルジュ・ビゴーもジャポニスムに傾注し、やがて憧れの地・日本にやってくる。
しかし、そこには思い描いた日本の面影はなく、急速に欧米化していく「貪欲で狡猾な日本」があった。
それでも、愛すべき日本人を描き残そうとするが、カルカチュア精神に富むフランス人の血と、
生きるための手段として、多くの風刺画を世に生み出すことになり、ついにはそれが日本を去る一因となる。  一覧へ
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大正9(西暦1920、皇紀2580)年10月1日午前零時を期し、
帝国版図内(下図参照)において、第1回国勢調査が施行された。
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